茨城・横須賀旅行記 ~茨城編 ~ 
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8月16・17日、茨城と横須賀に旅行に行ってきました!
追記にていつもの通り旅レポです。第1弾は茨城編。


◆ 8月16日 ◆

列車とバスを乗り継ぎ、徒歩で先ず向かったのが…

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▲ 筑波海軍航空隊記念館
映画『永遠の0』公開記念として期間限定で公開されている記念館です。

筑波海軍航空隊は、日本国内に現存する中で最大規模の戦争遺構で、
太平洋戦争後期に陸海軍で行った特攻の実行が初めて決められた地です。
昭和16年10月から17年3月までに卒業した52名が激戦地に送られ、
昭和20年の終戦までに46名が戦死したそうです。

入り口で受付を済ませてすぐに目に入ったのが…

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▲ 富安中尉が米空母・エンタープライズに特攻した記録
筑波海軍航空隊出身で、わずか22歳という若さで米空母・エンタープライズに特攻し、
大損害を与えた富安中尉。
2階には富安中尉の写真や、500kgの爆弾を装着し、
実際にエンタープライズに突入する寸前の写真も展示されていました。

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▲ 戦闘服と零式艦上戦闘機21型の後部胴体
太平洋戦争の始まりとなった真珠湾攻撃時に戦った零戦21型。
おそらくラバウル航空隊所属と思われる機体だそうです。
ちなみに零戦は11型から始まり、21型、22型、32型、52型、64型がありました。

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▲ 1945年の終戦間際、1人の少女に贈られた2つのペンダント
このペンダントの受取人となった少女は、先生のすすめで励ます目的で
1人の兵隊さんに手紙を書いたそうです。
その手紙を受け取ったのは金井正夫少尉(筑波海軍航空隊の予備仕官)。
このペンダントを贈った手紙を最後に、金井少尉からその後、手紙が届くことはなかったそうです。
ペンダントは爆撃機のコックピットの硝子を使用したもので、
金井少尉がこれから搭乗すると思われる零戦と
少女と金井少尉のイニシャルを象ったハート型のペンダント。

この説明パネルの隣に実物が展示されていたのですが、うまく写真におさめられませんでした…。
手作り、しかも戦時中に作られたものとは思えないほど繊細で、とても美しいペンダントでした。

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▲ 映画『永遠の0』のセット再現
映画を見た方なら「ああ」と思う2枚ではないでしょうか。
映画内で宮部さんが大石さんのお見舞いに訪れた病室と、
宮部さんが訓練生達に教鞭をとっていたときに使用された黒板です。

* * *

記念館を後にし、次に向かったのは…

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▲ 予科練平和記念館
『予科練』というのは、『海軍飛行予科練習生』及びその制度の略称です。
第一次世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まり、欧米列強に遅れまいと
旧海軍が昭和5年に少年達の教育を開始しました。
予科練1期生の倍率はとても高く、全国から5807人が志願し、
合格したのはわずか79人という狭き門だったそうです。

しかし、1期生こそ狭き門・超難関な予科練でしたが、第二次世界大戦が始まり、
戦況が悪化し、兵が足りなくなってくると飛べる飛行機がないという状況下でありながら
多くの少年が予科練の門をくぐったそうです。
国の為に、という想いで入学した方もいれば、予科練は学費免除の上に給与まで貰えるということで
日に日に貧困化する生活を少しでも改善する為に入学した方もいらっしゃったそうです。

予科練制度の開始から終戦までの15年の間、約2万4000人が飛行練習生過程を経て、
戦地へ赴いたそうです。
中には特攻隊として出撃した方も多く、内、8割の約1万9000人が戦死したそうです。

館内は予科練の制服である7つボタンをモチーフに、7つの空間に区切られて様々な展示が見られます。
外観も内装も予科練故に「空」を大切にした空間に包まれ、
それだけでも言葉に出来ない想いがこみあげてきました。
造り自体はとても近代的でオシャレなのですが、白を基調とし、空を覗かせる空間だからこそ
より一層かつて国や家族の為に散っていった少年達への想いが強まる場所でした。

最後の「特攻」の空間で、予科練14期(2次)生として実際に訓練を受けていた方のお話を聞きましたが、
とても言葉になりませんでした……。
その方は「土竜」と呼ばれる特攻戦術の訓練中に終戦を迎えた為、命を落とすことはなかったそうです。
「土竜」というのは、海岸線に掘った穴に兵士が土竜のように爆薬を抱えて潜み、
敵が上陸して戦車などが来たら、爆薬を抱えたまま戦車にぶつかるという戦法です。
「伏龍」の地上版…とでも言うのでしょうか。
どちらにせよ、土竜も伏龍ももはや戦術とは呼べないものだと、改めて憤りと共に感じました。

元々空を飛び、敵と戦うために入学した少年達がお粗末な船や魚雷に乗り込んだり、
身体ひとつに爆弾を抱え、海や土に潜ったりし、敵と戦うのではなく敵もろとも死ぬために
特攻をしなければならなかったという現実。
今の時代からは到底考えられない現実だと改めて感じました。

記念館の後に訪れたのは、同じ敷地内にある…

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▲ 雄翔館へ
雄翔館に向かう途中、某ドラマで使用された実物大の回天(人間魚雷)の模型が展示されていました。
写真や縮小模型では何度も見てはきましたが、実物大を見るのは初めてでした。
想像以上に高さがなく、こんな筒の中に当時は人が入っていたとは信じられませんでした…。

雄翔館は予科練の戦没者の遺書や遺品が約1700点が展示された施設です。
遺品は勿論、遺書がたまらない気持ちにさせられます…。
家族のことをこころから想う文章や
今まで親孝行が出来なかったけれど(特攻という形で)初めて親孝行が出来ます
笑っていってきます
靖国に会いに来てくださいね 等…
月並みの言葉でしか言い表せませんが、心臓が抉られるような気持ちになりながら
全ての遺書を目に焼き付けて来ました。

* * *

「茨城編」はこの辺にて。
2つの施設を訪れた前日は終戦の日。
特にその日を意識した日程ではなかったのですが、やはり頭の片隅には引っかかっていました。

戦争について色々思うところも語りたいことも山程ありますが、何せとても難しい題材ですので……。
今回の旅行は今まで同様、心に深く刻み込まれたものでした。

次回は 【 茨城・横須賀旅行記 ~横須賀編 ~ 】です。