横須賀旅行記 ~「記念艦「三笠」」編 ~ 
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【 横須賀旅行記 ~「YOKOSUKA軍港クルーズ」編 ~ 】に続き、
今回は横須賀旅行「記念艦「三笠」」編 です。
追記にてどうぞ。



YOKOSUKA軍港クルーズを終え、次の目的地「記念艦「三笠」」へ。

戦艦「三笠」は以前載せた【 呉旅行記 ~2日目「入船山記念館」編 ~ 】で少し触れていましたが、
明治35年(1902年)3月1日に英国ビッカーズ造船所で竣工し、
明治38年(1905年)5月27日の日本海海戦にて連合艦隊旗艦を務めた艦です
(明治37年(1904年)8月10日の黄海海戦でも旗艦を務めています)。

日本海海戦では東郷平八郎司令長官が搭乗し、ロシアのバルチック艦隊を対馬沖にて激撃し、
圧倒的な勝利を収めました。
その日本海海戦によって戦争は終局に向かい、ポーツマス条約が締結され、
両国の講和が成立したのでした。

その後、大正10年(1921年)11月11日~大正11年(1922年)2月6日までアメリカ合衆国の
ワシントンD.C.で開催されたワシントン会議にて採択されたワシントン軍縮条約によって
三笠は廃艦が決定しました。
そして大正12年(1923年)9月1日の関東大震災により岸壁に衝突。
応急修理のままであったウラジオストク沖での破損部位から大浸水を起こし、そのまま着底。
9月20日に帝国海軍から除籍されました。

軍縮条約により廃艦後は解体される予定だった三笠ですが、
国民から愛された三笠に対する保存運動が勃興し、
現役に復帰出来ない状態にすることを条件に保存されることが特別に認められ、
大正14年(1925年)1月に記念艦として横須賀に保存することが閣議決定されました。

その後勃発した第二次世界大戦の敗戦後、日本が連合国軍に占領されていた時期には、
ソ連からの要求で解体処分されそうになったのですが、アメリカ陸軍のチャールズ・ウィロビー少将らの
尽力によりこれを逃れました。
しかし、アメリカ軍人の為のダンスホールや水族館が設置されてしまいました。
東郷平八郎を敬愛していたアメリカ海軍チェスター・ニミッツ元帥はこれを知り、激怒したそうです。
チェスター・ニミッツ元帥はその後、三笠の状況を憂いて本を著し、その売り上げを三笠の保存に
寄付するなどして復元保存運動が徐々にその動きを活発化させていきました。

そんな、国内外からの尽力もあり、三笠は現在、横須賀の三笠公園に記念艦として保存されています。
現在の三笠はレプリカとして戦後、作成された部分が多いのですが、
甲板の一部に現役軍艦当時のままのチーク材や、トイレットルームのタイル床が残っているそうです。

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▲ 三笠の入り口

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▲ 戦艦「大和」の主砲砲弾
三笠の入り口近くにありました。

中に入って少し歩いてすぐのところにあったのが…
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▲ 無線電信室

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▲ 無線通信機
実際にモールス信号を打つことが出来ます。

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▲ 15cm方通常弾

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▲ 8cm砲台

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▲ 人力操舵用舵輪

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▲ 時鐘

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▲ 上甲板の30cm前部主砲

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▲ マストとZ旗

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▲ Z旗の説明もきちんとありました
有名なお話ですね。

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▲ 海図室

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▲ 最上艦橋
日本海海戦時、東郷令長官が戦闘を指揮した場所です。
東郷令長官等が実際に立っていた場所も記してありました(床のプレートがそれです)。

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▲ 羅針盤

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▲ 最上艦橋から眺める30cm前部主砲

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▲ 操舵室
ここにある羅津儀と操舵輪は日露戦争当時、実際に装備されていた物だそうです。
凄い……。

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▲ ネボガトフ少将 昇降口
バルチック艦隊司令官・ロジェストヴェンスキーの負傷に伴い、
艦隊司令の命を受けたネボガトフ少将が降伏の為、三笠を訪れた時に通った昇降口です。

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▲ 40口径 36cm連装砲塔

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▲ 三笠 主砲弾

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▲ 上甲板艦尾側

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▲ 三笠堪能後に撮影

三笠内には様々な展示物があり、見応えがあります。何時間でもいられる場所ですね…(恍惚)。
現在、記念艦「三笠」では特別展「三笠秘蔵 連合艦隊 艦隊コレクション」が開催中で
(好評につき、2015年5月31日まで延長)、日露戦争・太平洋戦争・海上自衛隊の艦艇の模型が
ずらりと展示されていて圧巻です。

三笠を堪能した後は…
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どぶ板通りをぶらりと歩き、
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▲ ふらりと立ち寄ったカフェにて海軍カレーを頂きました。
この辺りのお店で戦艦コースターを配布しているらしく、私が貰ったのは戦艦「比叡」のコースターでした。
呉の海軍カレーにはついていなかった牛乳が。
戦時中、軍人さん達がかかる病気はビタミン不足が原因のものが多く、
カレーだけでなく牛乳とサラダも一緒に食すよう、医師がすすめていたそうなので、
現在の横須賀海軍カレーにも牛乳とサラダがついてるんだとか。

カレーを食した後はホテルに向かい、翌18日は横浜の赤レンガ倉庫に脚を運んだ後、
おがたさんと遊んで帰って来ました。

*

横須賀は呉に比べて近い場所にあるので、今後もちょくちょく?訪れてみようかなと思っています。
行く度に停泊している艦艇も変わりますし、その数も変わるので、
運が悪いと1隻も見られないこともあったり、逆にびっしりとつまった艦艇達が見られることも。
取り合えず次回行くときにはロナルド・レーガンが就役した時……ですかね。
記念艦「三笠」もまたじっくり訪れたい場所でした。

これにて横須賀旅行記 ~「記念艦「三笠」」編 ~は終了です。
お粗末様でした。